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徳島地方裁判所 昭和54年(ワ)272号 判決

原告

柏原ハツ子

原告

柏原孝至

右法定代理人親権者

柏原ハツ子

原告

柏原宏美

右法定代理人親権者

柏原ハツ子

右原告全員訴訟代理人

川真田正憲

枝川哲

林伸豪

被告

三井東圧化学株式会社

右代表者

松葉谷誠一

右訴訟代理人

渡部善信

小長谷国男

今井徹

被告

大豊運輸株式会社

右代表者

浜口正二

右訴訟代理人

北山六郎

土井憲三

主文

一、被告大豊運輸株式会社は、原告柏原ハツ子に対し金七一一万七、一七〇円、原告柏原孝至ならびに原告柏原宏美に対し各金六九六万九、五五〇円及び右各金員に対する昭和五三年三月二一日から各支払ずみまで各年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らの被告大豊運輸株式会社に対するその余の請求、被告三井東圧化学株式会社に対するすべての請求は何れもこれを棄却する。

三、訴訟費用は、原告らと被告大豊運輸株式会社との間に生じたものはこれを四分し、その三を原告ら、その一を同被告、原告らと被告三井東圧化学株式会社との間に生じたものはすべて原告ら(連帯)の各負担とする。

四、この判決は第一項に限り、原告らにおいて被告大豊運輸株式会社に対し各金一〇〇万円(合計金三〇〇万円)の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の申立(求めた判決)

(原告ら)

一、被告らは連帯して原告柏原ハツ子に対し金二、八五六万八、六九五円、原告柏原孝至ならびに原告柏原宏美に対して各金二、七九七万八、二三五円及び右各金員に対する昭和五三年三月二一日から支払ずみまで各年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告らの負担とする。

三、この判決は仮に執行することができる。

(被告両名)

一、原告らの請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、当事者の主張

(原告ら)

一、当事者

1 原告柏原ハツ子(以下「原告ハツ子」という)は、後記事故(以下「本件事故」という)により死亡した訴外(亡)柏原進(以下「亡進」という)の妻、原告柏原孝至(以下「原告孝至」という)及び原告柏原宏美(以下「原告宏美」という)は、それぞれ亡進の子で、それぞれ相続人である。

2 被告三井東圧化学株式会社(以下「被告東圧」という)は、化学薬品等の製造販売等を目的とする会社で、全国各地に工場その他の施設を有しているが、大阪府高石市高砂一丁目六番地に同社の有力工場施設の一である大阪工業所を有している。

3 被告大豊運輸株式会社(以下「被告大豊」という)は、船舶保有ならびに海上運送を主たる目的とする会社である。

二、本件事故の発生

1 亡進は、タンク船である第一栄勢丸(107.92トンで、以下「栄勢丸」という)を所有し、主に瀬戸内海航路を苛性ソーダ、塩化カリ等の化学薬品の輸送業に従事していた。

2 栄勢丸は、昭和五三年三月一八日倉敷市児島の訴外岡山化成水島工場で苛性ソーダ八〇キロリットルを積み、同月二〇日朝被告東圧の大阪工業所に入港し、苛性ソーダの苛揚げを行つた後、同所を出港し訴外岡山化成水島工場へ向つた。

3 途中、同日午後一時頃大阪府堺市築港新町三丁先の海上にさしかかつた際、亡進が船内のタンク洗滌のためタンクに立入つたところ同タンク内には窒素ガスが充満しており、酸素が極めて希薄となつていたために、即時同タンク内で酸素欠乏により窒息死した。

三、被告の責任

1 被告東圧の責任

(不法行為)

(一)、被告東圧(以下、相被告大豊と区別できる個所においては、単に「被告」という)は、前記苛性ソーダ荷揚げ当時、大阪工業所の荷揚作業員として訴外近藤貞造を雇傭して作業にあたらせていたが、右近藤は、栄勢丸が同工業所の岸壁に接げんした後、その積荷の苛性ソーダを荷上げするにあたり、同工業所に貯留してあつた窒素ガスを栄勢丸のタンク内に送り込み苛性ソーダの荷揚げを行つた。

(二)、右近藤には、苛性ソーダの荷揚げをする場合には、陸上より船舶へは、圧縮空気を送り込むことにより荷揚げを行わなければならない義務があるにもかかわらず窒素ガスを送り込んだ。そして窒素ガスを使用した場合には、荷揚後、船舶タンク内に窒素ガスが充満し酸素が極めて希薄となり、もし、船員がタンク内に立入つた場合には窒息の危険を生ずるおそれが非常に大となるからその旨を十分に指示する等適切な措置を講ずべき義務があるにもかかわらず、次のとおりこれを全く怠つた重大な過失があり、これによつて本件事故が発生したもので、この近藤の行為は、被告の事業である荷揚作業を行うにつきなされたのであるから同被告には、後記損害を原告らに賠償する義務(民法七一五条)がある。

(1)、近藤は、苛性ソーダ等の腐食性液体の荷揚げには、窒素ガスを使用してはならないことを十分知りながら、すなわち、労働安全衛生規則第三二八条において「圧縮したガスの圧力を動力として用いて腐食性液体(本件のごとき苛性ソーダ)を圧送する作業を行うときは、空気以外のガスを当該圧縮したガスとして使用してはならない。ただし、当該作業を終了した場合において、直ちに当該ガスを排除するとき又は、当該ガスが存在することを表示する等労働者が圧送に用いた設備の内部に立入ることによる窒素の危険が生ずるおそれのない措置を講ずるときは、窒素又は炭酸ガスを使用することができる。」と定められており、窒素ガスは引火性の強い可燃性物質の取扱工程においてのみその使用が認められているものであり、本件の如く苛性ソーダの荷揚げに用いるということは他の事業所でも全くないのに、被告の事業所(大阪工業所)にはエアーの設備がないため、またはあるのにこれを使用しないで圧縮空気のかわりに右窒素ガスの送り込みをし、この窒素の送り込みの事実を亡進に告げなかつた。それがためこの事実を知らない亡進は、前記タンク内に入つて酸欠死するに至つた。

(2)、被告の弁解(主張)は次に述べるとおり理由がなく、本件事故発生について過失責任を免れない。

イ、右窒素の送り込みが船(亡進)側の要請によるものであるというが、船側乗員二名全員死亡し、いわば「死人に口なし」の状態にあるため、原告側では断定できないが、被告の右主張の基となつている前記近藤の証言その他の事実に照らして右要請には疑問がある。すなわち、本件事故発生当時、被告は、全く異例の出来事として本来自社で製造販売すべき苛性ソーダを他から購入する事態となつて何隻ものタンク船により苛性ソーダの揚液をしていた。本件事故発生当日も栄勢丸にすぐ引き続いて瑞洋丸が桟橋に到着する予定となつていた。栄勢丸は揚液のため、右近藤に、タンク加圧のための空気(エアー)を送つてくれるよう指示したが、近藤は、揚液のためのタンク加圧であれば、エアーでも窒素でも同一であろうと考えて、船側に「エアーはない、窒素ならある」ということも告げず、そのまま、陸上の窒素バルブに船側のホースをつなぎ窒素の送り込みをした可能性が高い。これは、近藤が揚液作業後、ホース内に貯つた残液をいつも窒素で加圧し、押し出す残液処理をしていることから、いちいち「エアーはない」などという必要性を感じていなかつたと思われること、また、引火性の物質につき、日頃窒素で加圧して作業をしていたこと、本件では船長の訴外山本林平も亡進と同じようにタンク内で酸欠死しているが、山本は進と異なり、タンク船の経験が比較的長く、山本が、陸上から送り込まれてくるガスが窒素であることを知つていたならば、当然、洗浄のためタンク内に入る亡進に対し、酸欠死の危険性を指摘できたはずであるが、そのようなこともなく、両名とも酸欠死していることから、近藤が証言するような「窒素ならある」旨の告知はなかつたことが十分考えられる。近藤が刑事不起訴となつたのは、おそらく近藤と直接交渉した栄勢丸の二人共死亡しているため公判維持が困難と考えられたためで、このことが近藤の告知を示すものではない。

ロ、仮に、近藤がその証言のごとく「エアーはない、窒素ならある」旨告知していたとしても、以下のとおり窒素による酸欠死の危険性があるから、そのようなことがないよう指示、指導をする等適切な措置をとる義務があつたのにそれを果さなかつた。すなわち、わが国では、高等教育が発達しているが酸欠事故が絶えない。そして酸欠事故の中では窒素による事故率が高い。この原因は、窒素による酸欠死の危険性が一般教育の中であまり行われておらず、また、使用現場の人達に対しても殆んど行われていないからである。被告が「窒素は空気体積の五分の四を占め人間はこの中で生存しており、窒素それ自体が毒素というものではない」と主張しているように、通常人は勿論、ある程度の高学歴の人間においても窒素による酸欠死の理解は右主張のような程度のものであることを被告(近藤)側も理解しており、また、右近藤は、本件事故前に酸欠事故につき十分な教育をうけており、亡進側から、「窒素でもよい」「いつもエア圧をかけている」といわれたのであるから、いつもエア圧を使用し、窒素による加圧は今回がはじめてであり、窒素による酸欠死の危険性の知識はなかつたことを推測させたし、船側がタンク洗浄等のためタンク内に入ることがわかつていたこと、酸欠死の危険性のないエアーのかわりに危険性の極めて大きい窒素を送ることにしたのであるからこの窒素の危険性を船側に告知する条理上の注意義務ないし信義則上の注意義務があつたものというべきである。それなのに右近藤は、一言も窒素による酸欠の危険性を船側に告知しなかつた。

ハ、被告は、前記規則は、被告(陸上作業)には適用されないと主張するが、本規則は当該圧縮ガスにより生ずるおそれのある爆発又は窒息の危険を防止するためであり、純粋な船内作業ではなく陸上作業と船内作業が一体となつたケースであるから適用されるのは当然である。また、危険物船舶運送及び貯蔵規則八三条において苛性ソーダは圧縮空気法を用いて揚液してはならないとの条文を援用主張するが、エアーでなく窒素を用いてよいということにはならない。そしてこの条文は、苛性ソーダの揚液には窒素等の不活性ガスでなくエアーを用いるべきであるが、角タンクの場合は、加圧に適さない構造なので、丸タンクの場合にのみ許可を得れば許されるという趣旨であるから被告の主張は理由がない。そして、揚液に際し、陸側から圧縮ガスを用いる場合、通常エアーを各港湾で用い、窒素ガスを用いられる例はないといつてよく、業界の常識として、苛性ソーダの揚液に陸上から圧縮ガスを送り込む方法がとられ、かつ、そのガスとはエアーであり、丸タンクの場合は圧縮空気法によつているというのが現状である。

ニ、また、被告は、窒素の送り込みは陸側(被告)の便宜供与であるからこれによる責任はないと主張するが、それは、船側の要請という動機を理由にして、便宜供与であれば、いくら危険なガスを送り込んでもよく、それによつて発生が予想されるいかなる重大な結果についても責任はないという論理であつて許されない。そして、単なる苛性ソーダの注文者(被告)にすぎないから、揚液作業の手伝いを分担する義務はなくこれに関する事故についての責任はないとも主張するが、現実には、船が桟橋につけば、陸側は、船から積荷が、できるだけ効率よくスムーズに陸揚げされるような体制を整え、船側に協力する。船側は陸側の指示に従い、必要な措置をとるのが一般で、船側の指揮監督のみで行いうるものではなく、陸船双方の共同作業がなければ積荷の陸揚作業は不可能である。本件は、まさに苛性ソーダの揚液作業のため陸側から送り込まれた窒素ガスが原因している。陸側としては、できるだけ効率よく安全性を確保しながらこれを行うのは当然のことであり、この共同作業について全く被告には関係がないという主張は現実を無視するものであり、「注文者であるに過ぎない」との主張は、注文品自体に経済的損害が生じた場合にそれを誰が負担するかという商事取引そのものの事故にはじめて妥当する論法とはいえても本件にはあてはまらない。

ホ、さらに、被告は、船舶に対しては法規上種々の危険防止義務が課せられ、船舶関係者に対して安全のための講習がなされ、酸欠の知識は初歩的知識であるから被告の負うべき責はないと主張するが、これは実態を無視した議論であり、現実の船舶所有者特に亡進のごとき零細船舶所有者(日本の危険物タンカーは殆んどこのような零細事業者である)にはあてはまらない。すなわち、他の指導機関からも窒素、酸欠について何らの具体的知識も与えられず、安全教育がなされておらず、自らこのような具体的知識を備える能力も資力もなく、亡進の場合、これらの点について被告大豊からも、何らの措置もうけていない。これに比し、被告のごとき屈指の大企業においては、その従業員に対し窒素の取扱いについて教育、指導する資力、能力が十分にあつた。右のごとき現実を無視した主張は、前記労働安全衛生規則の存在意義を無視否定しさるもので許されない。前記瑞洋丸において本件のごとき事故が発生しなかつたのは、栄勢丸のように苛性ソーダから異質の塩化カルシウムに積荷をかえる必要がなく、タンク洗浄の要なくそのためにタンク内に立入らなかつたためである。被告の主張するような酸欠が船員にとり初歩的知識であるというのなら船員災害防止協会が酸素欠乏(乙第五号証)なる図書を出す筈はないし、被告が事故後、他の船舶関係者との間に窒素ガスを使用するからタンク等に立入つてはならない旨の誓約書をかわす必要はない筈なのに被告は誓約書を交わしている。

(三)、以上、本件では、亡進(タンク船の経験は極めて浅い)と訴外山本林平(タンク船の経験は比較的長い)の二名が死亡している。この事実は、被告側で窒素送入を告げていないか、或は、右二名を含めて一般にタンク船員が酸欠の知識を十分に有していないことを示している。何れにせよ、被告は、前記理由によつて、その責を免れることはできない。

2 被告大豊の責任

(債務不履行責任)

(一)、亡進は、その所有する栄勢丸につき、被告大豊(以下、相被告東圧と区別できる個所においては単に「被告」という)との間に、昭和五二年六月一〇日定期傭船契約、同年七月一日運行委託契約を締結し、以後被告のために苛性ソーダ、塩化カリ等の化学薬品の海上輸送に従事していた。そして、右契約によつて被告は栄勢丸の配船その他船舶の運行管理について全面的な支配を持ち、両者間には右定期傭船契約の内容として或いはこれに付随して労働契約ないしこれに類似の契約が締結され、被告は苛性ソーダ等の危険物の積荷、海上輸送、荷揚等について亡進の生命身体の安全を確保するために適切にして充分な指示ないし指導をする義務があつたこと次に述べるとおりである。

(1)、被告は、自己所有船一〇隻、他者所有船一五隻(運行委託船六隻、定期傭船九隻)をもつて、海上運送を営んでいるが、栄勢丸も昭和四〇年頃から同被告所属の薬品タンク船として使用され、その当時からタンク船の心臓部である薬品タンク、ポンプ、原動機荷役用配管類等の設備は全て同被告の所有物であり、右設備がなければ薬品運搬船としての存在価値は無きに等しく、従つて、法的形式においては船舶所有者は他者であつても使用上の実質上の所有者は同被告であり、形式上の所有者は、被告以外の仕事はできず、積荷の選択、運航委託拒否の自由等もなく、栄勢丸は被告を離れては存在し得ず、被告のみを傭船者とする外ない主従の関係で、船に対する実質的支配、直接支配は被告が行つていたから、この関係は本来の定期傭船あるいは運航委託とは大きく異なるものである。

(2)、亡進は、何代か船主が変つた後に、前所有者から栄勢丸を買受けて船主となつたものであるが、これは、前記のごとき被告に専属してその命ずる仕事をさせてもらうという地位を、船の購入代金を支払うことにより取得したもので、換言すれば、同代金相当の資本利子的な利益をあげうる地位を取得したということである。そして、前記両者の関係から前記契約締結過程においでも、被告があらかじめ定めておいた契約書のヒナ型により、亡進は、前記タンク使用料として運賃の一五パーセントを支払うなど船側にとつて非常に過酷な条件内容を受入れさせられ、これに変更をせまる余地は全くなく、この契約には対等当事者的要素のない主従の関係となつていた。従つて、業務遂行過程においても、契約によつて、積荷の選択、配船、運賃取極、燃料契約ならびに積揚地及び寄港地における船内人夫等船舶運行に関連する一切の手配を被告に委ねることとし、これがため、被告の栄勢丸運航に関する指揮、命令は全面にわたつて貫徹されていた。このような両者の関係下においては、被告は、亡進や栄勢丸の船員に対し、船舶運航及び荷役作業について十二分にその安全を確保する義務がある(これは、右契約自体の内容となつており、仮にそうでないとしても右契約に付随する信義則上の義務と考えられる)。特に、本件では、苛性ソーダという危険物を取り扱い、積載物が一定していないため、タンク内に入つてするタンクの洗浄を不可欠の作業としており、栄勢丸がエアー加圧をしなければ揚液作業が困難であることを被告は十分に知つており、積載物が異なる場合はタンクの洗浄を行わざるを得ないことも指示しており、窒素による加圧をしている港湾が二、三あつたのにこれを調査しなかつた。右洗浄にあたつては、一定の場所で洗浄せよとの命令は出さず、荷揚出港後、沖まで出て航行中にそうするよう指示していた(スクリューの回転により廃液タレ流しを誤魔化すため)し、その他荷主との応待態度に至るまで細かい指示をしていた。また、内航海運は非常に零細な船主が多く、亡進もそのうちの一人で、酸欠、特に窒素による酸欠についての具体的知識をもたず酸欠指導が必要なこと、タンク内が酸欠ということで危険な状態が発生することを被告は知つていたから本件のごとき事故防止のための教育指導をすべき義務があつた。ちなみに、被告は、本件事故後、所属船のすべてについて酸欠教育あるいは事故予防のための検知器の備えつけを徹底したようである。

(二)、仮に、亡進と被告との間において、亡進に或程度の独立性が認められるとしても、前記結論にかわりはない。すなわち、仮に亡進がその所有船舶をいわば被告が海運企業の一構成要素として取り込んだ形の企業運営においても、労務供給契約的側面と賃貸借的側面があるといえる。これは、本件とよく似た労務提供についての裁判例(富山地判、昭四九・二・二二、判時七三七)、地労委命令(茨城、昭五五・一・一〇、労働判例三三六)によつて裏づけられている。

(三)、以上、亡進と被告との関係は、労働契約とも、雇傭契約とも或いは運航委託に伴う労務契約ともいえるのであつて、またその何れであつてもその実質関係から被告は亡進に対し、窒素による酸欠事故を回避しうるよう指導教育等すべき義務があつたのにこれを怠つて本件事故発生に至らせたものである。

(四)、被告は、船舶は陸を離れれば、乗組員のみで一社会を構成して航行する孤立性を有しており、被告は運航委託契約の受託者として、委託者たる船主(亡進)へ配船を依頼する立場に過ぎず、船舶内の諸設備等の確保、保全、配備等は船主、船長の責任であると主張するが、そして船舶安全法、船員安全衛生規則等には、それにそう規定も散見されるが、内海海運業者は、亡進を含めて極めて零細なものが殆んどで、そこでは、現実的に大企業所有の船舶と異なり、必ずしも十分な設備がなされておらず、船員においても、法規面、安全衛生面においても十分な知識がないのが普通で、これは、その法規どおり実現する教育、指導体制が、大企業海運会社は別として、零細船主に対しては海運局その他公的機関からもなされておらないからである。このような場合、被告主張のごとき法規等を根拠にして大企業に免責を認めることは、法規の予想しないところである。特に、被告は栄勢丸の薬品タンク等重要な設備の所有者であるから実質的には被告が船員労働安全衛生規則にいう船舶所有者と同様の地位にあるというべきで、船舶所有者として亡進や船員の安全確保をする義務があり、自社船のみ船員に対する安全確保すればよく、専属傭船している亡進のごとき零細船舶に対しては無関係であるとするのは著しく信義則にもとり公平に反する。現に、訴外辰己商会(海運企業)では、自社船以外のものも含めて所属船舶に対して酸欠等の安全教育を行つているとのことである。

(不法行為責任)

(一)、被告は、栄勢丸が苛性ソーダを運送できる能力をそなえたタンク船でないため、これを隠ぺいするためサイズ剤(製紙原料)の専用船としての外観(船舶使用計画書)を作り出した。ただ、亡進に対しては、苛性ソーダ専門船として問題がない旨説明し、同人もそのように信じて苛性ソーダ等を運送していた。そして、場合によつては、気体による圧送をしなければ揚液できない船舶であることを十分知つていながら苛性ソーダ等の運送を亡進に命じていた。

(二)、栄勢丸は、陸側タンクが桟橋から遠距離の場合は、備付ポンプの力が弱いため陸上からエアーを送り込んでもらつて加圧して揚液作業をしていた。もし、陸上からの加圧が、陸側の純然たる便宜供与であるとした場合、陸上からの加圧が得られなかつたとしたら揚液作業ができないということにならざるを得ず、その責任は被告の負うべきものである。備付ポンプの力が弱いことをもつて船側の欠陥というならば、本件の場合その欠陥の故に陸側からの窒素の送り込みを求めざるを得ず、それが直接の原因となつて本件事故が発生した。

(三)、以上、被告は、栄勢丸を危険物タンク船として使用させるべきでないのに使用させ、船の備付ポンプに動力の大きいものを設置すべきであるのに設置せず、苛性ソーダを運送させる場合にも窒素加圧によるタンク内の酸欠状態を確認したうえで、タンク洗浄をするように指導教育すべき義務があるのにこれをしないため、本件事故を発生するに至らせた。

(四)、被告の主張に対する反論は、前記債務不履行責任の項で述べたとおりである。〈以下省略〉

理由

一原告らの被告東圧に対する請求について

1  被告東圧(以下、前記要領により「被告」と略称する)側(従業員である訴外近藤貞造)から供与した栄勢丸のタンク内の窒素ガスによつて亡進が酸欠死したことは当事者間に争いがない。

2  被告との間に争いのある右窒素ガスの供与に関する責任についての原告らの主張は多岐にわたるが、その骨子とするところは、窒素ガスの告知の点は、(一)、訴外近藤は、窒素が酸欠死を招く危険性のあるガスであることを知つており、栄勢丸(亡進)側からはエアーの請求をうけたのにこれにかえて窒素ガスを供与したのであるから、供与の際窒素ガスである旨を告知すべきであるのに、これを怠つた。そのため右供与をうけたガスが窒素であることがわかつておれば、これが酸欠死の危険を招くことを知つており、これに対応する措置をとることができる知識を備えていた亡進側(亡進と訴外山本林平)は、供与されたものがエアーであると信じて行動したため酸欠死を招いた。(二)、訴外近藤は、窒素の危険性を知らず、エアーも窒素も同じだと考えて、右エアーの請求をうけた際、これにかえて窒素を供与することを告げなかつたため、亡進は窒素供与に対応する措置をとることが出来ず酸欠死を招いた。(三)、訴外近藤は、自らは窒素による酸欠死の危険性を十分知つており、亡進側は知らないことが推測されたので、条理上ないし信義則上、供与するガスが窒素であることを知らせるばかりでなく、その危険性をも知らせるべき義務があつたのにこれを怠つて、窒素の危険性を知らせなかつたため、窒素による酸欠死の知識のない亡進は、窒素に対処する措置がとれず酸欠死を招いた。ということであるので、以下、右の点について検討を加えることとする。

(一)  右窒素供与交渉が亡進側と右近藤の直接折衝によるものであることについては当事者間に争いがないので、右の事実を最もよく諒知する者は右近藤であり、同人の証言に対する格別な反証がなく、内容に矛盾がみられない限り、そのまま右証言内容は信用せらるべきものといわねばならないが、証人近藤の証言、同証言調書(成立に争いのない乙第六号証)によれば、近藤は亡進側のエアー請求に対して「エアーはないが窒素ならある」旨告げたことが認められ、これに対する反証はない。

この点について、原告ら(代理人)は、近藤が平生窒素をホース内の残液押し出しに使用していたので、揚液のための加圧であれば、エアーでも窒素でも同じであると考え、近藤はその証言どおりには述べないで、黙つてエアーのかわりに窒素を送つた旨の推測主張をするが、何らこの推測にそう証拠が見当らないばかりでなく、この推測自体不自然といわざるを得ない。すなわち、前顕証拠(以下「近藤証言」という)によれば、原告ら主張の本件荷揚桟橋には、被告は、窒素ガス栓のほかに盲キャップをふし、通常加圧用に使用することを禁止したエアー栓を備えていたことが認められる(以下、「近藤証言によれば……備えつけていたことが認められる」の表示にかえて、適宜、単に「近藤証言によれば……備えていたから」の表示要領を用いることとする)から、エアー設備がなく、近藤がエアーも窒素も同じと考えていた揚合には或は、原告ら主張のごとき推測も首肯できないではないが、亡進側から、「何時もエアーで加圧している」旨つけ加えられてエアーの要求があつたのにもかかわらず、黙つて窒素送りをしたと推測するのは不自然といわざるを得ない。勿論、原告ら主張のように、告げられておれば、亡進側にそれに対応できる酸欠防止措置をとりうる知識があつたことを前提とすれば前記告知はなかつたとするのが、むしろ自然といわざるを得ないが、後述のとおり証拠によれば、右知識はなかつたものと肯認される。

(二)  原告らは、亡進(訴外山本を含め)は、窒素による酸欠死の知識を有しなかつた旨主張し、被告は、右知識は、初歩的知識としてこれを有していた旨争うが、若し、亡進が、初歩的知識として明確に右知識を有していたとすれば、その行動(酸欠に結びついた)は自殺死と推測せざるを得ないが、この推測を首肯できる何らの証拠もなく、知らなかつたと推測するのが自然だと考えられ、また、これについては、〈証拠〉によれば(綜合すると)右知識はなかつたものと肯認できる。すなわち、右証拠によれば、亡進も訴外山本林平も苛性ソーダ、塩化カルシューム等の化学薬品の荷揚の際、揚液加圧気体を多数回用いていたが、それはすべてエアーであつたし、近藤の場合も船側からの揚液につき窒素は勿論、エアー加圧例を経験したことはなかつた。右浜口によれば、自社船一〇隻、傭船等一五隻を配下におく被告大豊にしても窒素揚液に使用する所の桟橋が全国で二〜三個所あることも知らず、所属船に対し、本件のごとき事故を想定した安全教育、窒素に関係した安全教育は本件事故までにやつたことはないということであり、近藤の場合も同様窒素の酸欠死は常識であると述べるだけで、労働安全衛生規則第三二八条の規定の存在(趣旨)さえも知らないし、窒素の対応措置についてもエアーと置換すると述べうるだけで、船側のことは知らないとして推定証言もできない。これは毎月作業長から安全教育をうけていると述べることと矛盾している。けだし安全教育の内容は定かではないが、毎月同じことをくりかえすだけでなく、具体的事例が持ち出され、そこで、安全講習教本等(〈証拠略〉)多くの安全知識吸収の機会を与えられている業務従事者においても、事故発生の少なくないことを知らされ、その具体的事例を通じて安全教育をうけているものと思われるのにそのようなことがなく、後述のこともあり、初歩的知識を唱え、自己が安全教育をうけたという近藤自身の安全知識及び安全感覚は不十分といわざるを得ず組織的な安全教育をうけうる近藤において然りであるから、このような機会の乏しい亡進側にはなおさらであるといわざるを得ない。前顕証拠はこれを示すものと認められる。証人中島正憲の証言中には窒素に関する安全教育を従業員(近藤を含め)に徹底しているかのごとき部分があるが前記安全図書の存在と同様、それが現実に機能していることとは別問題である。

(三)  原告らは、訴外近藤は、窒素による酸欠死の知識が十分であつたから、条理上ないし信義則上窒素の危険性を亡進側に告げる義務(亡進側には危険性に対する無知が推測されたので)があつたのに告げなかつた旨主張するが、前顕近藤証言によれば、近藤は、被告会社の現場作業員として、主として被告会社の化学薬品を陸上桟橋から船積する作業に従事していたが、前記本件事故を経験するまでの満四年(昭和四九年二月入社)間に、船側への加圧気体を送つた経験は全くないのに、亡進側から揚液に、何時もエアーを用いていると言われただけで、窒素使用についてもベテランと思い込み、安全教育をうけている作業長に相談することもせず、躊躇なく窒素供与を決したもので(安全感覚に問題があるといわねばならない)、エアーよりも窒素の危険が少ないとの考えもあつたのであろうが、何れにせよ、前記(二)の事実に照らしても窒素に対する安全対策知識が十分であつたとは考えられない。一方、亡進側は、化学薬品を揚液するにつき多数回加圧空気を現実に使用している経験者であり、何時もエアーによる加圧揚液を行なつていると言えば、未経験者で一使用人に過ぎない近藤にとつては、亡進らの年配に対し、また、いわゆる一国一城の主としての船主(兼機関長)、船長の地位に対して、エアーと窒素を使い分けのできるベテランであると思い込んだこともあるのではないかとの推測もできる。以上、酸欠についての訴外近藤の知識も亡進側の知識も共に不十分であつたと認められるから、訴外近藤に原告ら主張のごとき告知を望むことはできない。

3  前同争いのある窒素ガスの供与自体についての原告らの主張の骨子は、被告(訴外近藤)は、(一)、苛性ソーダの揚液には窒素ガスを用いてはならないという法令に違反して、そのことを知りながら用いた。(二)、窒素ガスを用いる場合は、その危険性とこれの対応措置を亡進側に指摘指導すべき義務があるのにこれを怠つた。ということであるので、以下、右の点について検討を加えることとする。

(一)  右の点に関する窒素を供与するに至つた経緯、供与作業の状況、本件事故発生に至るまでの状況、供与作業に関する訴外近藤と亡進側の法的地位については、〈証拠〉を綜合すると前示認定に反する部分を除き、被告がその答弁三の1ないし4として主張するとおりのこと(主要事実の中に新たに示す事実)が認められ、これに反する証拠はない。これと前示認定事実を併せて要約した主要事実を示すと以下のとおりとなる。すなわち、被告工業所では、従来、本件桟橋から自社製品として出荷していた苛性ソーダを、事情があつて、本件事故発生時前後から、訴外大阪ソーダから一部購入することになり、同訴外人は、同品の被告工業所までの輸送搬入を被告大豊に委託し、同被告はこれを栄勢丸(亡進)に委託した。栄勢丸は、内航船として、昭和四〇年ごろ(亡進は昭和五二年七月から)以来苛性ソーダ、塩化カルシウム等の化学薬品を、多数回運送し、積み降ろしをくりかえしているものであるが、自船のポンプの揚液力が弱く独力では揚液できない場合があるため(その意味では欠陥船)、陸側(荷揚側)から圧縮空気による加圧補助をうけて揚液することが多かつた。被告工業所においても、他の船舶はすべて自船ポンプによつて揚液できたのに栄勢丸のみ、それが出来ないため、前記のとおり亡進側から被告側(訴外近藤)に対し、右の旨を告げて圧縮空気による補助加圧の申し出があつたため、被告主張のような経緯で窒素の供与によつて揚液作業が行われた。栄勢丸船内には、危険物取扱い心得並に安全設備総点検要項、危険物タンカー及タンク船揚荷作業手順書、船員法及関係法令、日本船舶医療便覧、小型船医療便覧、船員安全手帖、船員労働安全衛生規則等の安全衛生関係図書が備えつけられていたが、タンク内の窒素と空気を置換するに必要な換気装置、検知器具及び保護具は備えつけていなかつた。前示のとおり、被告(訴外近藤)においては原告ら主張の労働安全衛生規則第三二八条の存在趣旨も、窒素に対する安全対策措置も知らなかつたが、この条文は、一般労働者の安全衛生に関する規制であり、被告工業所等の事業主に遵守を求められているものであるから、安全衛生教育が徹底していたとすれば、近藤も、この規定の趣旨(内容)は知つている筈のものである。ただ、窒素ガスを使用する作業をしたのは、亡進側であるからその意味における事業主は亡進といえるが、何れにせよ、これは、圧送に用いるガスの性質上生じる可能性のある危険回避のための規制であり、陸側(被告)も船側(亡進)も共に守らねばならないものである。前示のとおり本件事故発生時までの苛性ソーダの具体的船内揚液作業の経験は、亡進側は豊富、訴外近藤側は皆無であり、被告主張のとおり安全衛生確保の責務は、船主(亡進)、船長(訴外山本林平)である亡進側の方が、現場作業員(従業員)に過ぎない被告側(訴外近藤)よりも遙かに大きく(船員法等の定めによる)、持つべき知識も広くなければならなかつた。

(二)  前項事実によれば、訴外近藤は、原告ら主張の法条の存在も窒素に対する安全対策措置も知らなかつたのであるから、船内の事情や作業を亡進以上に知るべく筈もない。それなので、これに対して原告ら主張のごとき告知を求めることのできないことは述べるまでもない。

条文に違反したことは、亡進側の求めに応じたことによる結果として生じたこと及び前記亡進側と訴外近藤の揚液作業経験、法的地位を考え併せると右条文の存在を知らないで窒素の供与を求めたことの責が、これに応じた責よりも条理上ないし信義則上大きいものといわねばならない。

原告らの主張には、亡進が零細な業者であるから安全知識の不備はやむを得ないことであるが、被告は大企業家であるからそれは許されず、窒素を供与したこと自体(法条の存否、危険の有無を知ると否とにかかわらず)に、その責任(過失)があるとの趣旨が含まれているとしても、法律上原告ら主張のごときことをもつてその不備が許容されるものでないことは勿論、事実上も、亡進側が、前記備付図書を活用することによつて安全衛生の基礎的知識及び意識を備えることが難しかつたとは考えられないし、また、経費面から、保護具や検知器の備えつけも難しかつたとは考えられない(証人浜口正義の証言による推認)。しかも、被告側からの窒素供与は、前述のとおり亡進側の要請によるものであり、勿論、要請があれば如何なる危険物でも、何らの考慮をも払うことは必要でないというものではなく、従前の取引関係からまた要請をうけた時の相手の態度等から、相手側に、窒素に対する安全措置能力のないことが看取せられる場合に限り、要請を断わるか、応じる場合には危険回避について必要な知識を与えるべき義務のあることは述べるまでもないが、それ以上に原告ら主張のように、一般的な安全知識及び安全態勢から演繹した、相手方の具体的な危険対応能力の有無にまでも考慮を払うべき義務までも課されているものではない。けだし、要請する側は、自らに窒素の受入れ能力のない限りこれを求めるべきでなく、要請は、いわば受入能力を自ら保証して相手に示したことを意味するものであるからである。しかも、窒素の供与(使用)が直ちに死を招くというものではなく、相応な措置を講ずれば、危険回避のできることは前記条文の「ただし」書もそのことを示すものである。そして、被告側から窒素の送入をうけると同時に亡進が酸欠死したものではなく、その後、海上に出てから自船タンク内にはいつて酸欠死を招いたことは、原告らの自認するところであるから、窒素の供与即酸欠死の関係にあることを前提とする原告らの主張も当を得ないことは明らかである。

4  以上によれば、亡進の酸欠死が被告側の過失に基づくものであるとすることのできないことは明らかである。

なお、前顕証拠以外に、本件で顕出された証拠中には訴外近藤が亡進側に対し、エアーのかわりに供与するのが窒素であることを告げなかつたとか、船舶乗組員は、窒素による酸欠死の危険は常識としてもつており、訴外山本林平はそのことは十分に知つていた(従つて、亡進も山本から知らされた)等(成立に争いのない丙第一三号証)前示認定に一部そわない内容を含むものがあるが、前者についてはこれと直接対立してこれを否定する他の証拠と照らし、後者については、事実として酸欠死がつづいていることを示す他の証拠と照らし、また、訴外山本に関しては、直接山本が窒素による酸欠死の教育をうけたり、知つていることを見聞していることの体験を示した証拠でなく(推測である)、加圧揚液に窒素を使用することは考えられないとの経験に基づく推定が本件では破られている等を考え併せ、前示認定の反証たり得ないので、何れも採用できない。

二原告らの被告大豊に対する請求について

1  当事者間に争いのない事実

原告らが亡進との間に原告ら主張のごとき相続関係にあること、亡進が原告ら主張のごとく栄勢丸を所有して化学薬品の輸送に従事していたこと、原告ら主張の日時場所において栄勢丸が苛性ソーダの揚げ降しをした後訴外岡山化成工場へ向つた後、船内のタンク内において、充満した窒素ガスのため酸欠死したこと、亡進と被告大豊(以下、前記要領により「被告」と略称する)との間に、原告ら主張の日に、内航定期傭船契約書と運航委託契約書が取り交わされたこと。

2  争いのある被告の債務不履行責任について

原告らは、亡進の酸欠死は、亡進と被告間に存在していた労働契約とも雇傭契約とも或いは運航委託に伴う労務契約ともいえる契約関係に基づき被告が亡進に負担していた酸欠死事故回避のための万全の安全措置を講ずる義務を怠つたため、亡進は、前記の酸欠死を招くに至つたと主張し、被告は、これを否認し、被告と亡進間の契約関係は、船舶運航委託契約に基づく対等の当事者関係で、亡進自ら独立の船主として自らの安全確保をすべき義務があるのにこれを怠つて酸欠死を招いた旨争うので以下この点について、原告ら主張の契約の経緯、その内容、これらの関連事情等を基にして検討を加えることとする。なお、事案を簡明にするため、一部争いのない事実も加えた事実及び前示原告らの被告東圧に対する請求の個所において認定した事実を援用して示すこととする。

(一)  〈証拠〉を綜合すると以下の事実を肯認することができる。すなわち、被告は、原告ら主張のような数の自己所有船、他者所有船を支配下におき、法令の許可を得て昭和二六年ごろ以来、危険物のタンク海上運送を営んでいる内航運送業者、亡進は、本件事故当時、栄勢丸の船主兼機関長で、右許可を得て内航運送業を営む内航船舶貸渡業者であつた。なお、被告の右所有船十隻すべては裸傭船(船員なし)として他に一たん貸与した後、船員付定期傭船として被告は再借受けをしていたが、被告本社には二〇名の職員がいるが、すべて事務職員である。栄勢丸は昭和四〇年ごろから被告の支配下(運航委託船として)において薬品タンク船として使用され、その当時からタンク船の心臓部である薬品タンク、ポンプ、原動機荷役用配管類等は被告の所有物であり、この設備がなければ薬品運搬船としての存在価値は無いのに等しいものであつた。亡進は、昭和五二年七月、栄勢丸を前所有者である訴外合田俊徳から買受けて船主(兼機関長)となり、原告ら主張の日時に被告との間に契約を結び、定期傭船契約書と運航委託契約書を取り交わしたが、前者は海運局の行政指導に関連する手続をとるため形式的に整えたもので、実体は、後者とするという両者の合意による運航委託契約であつた。この契約は、従前(昭和四〇年ごろ)から被告が他の栄勢丸の所有者との間で定型的に定めた書式内容によるものと全く同じもので、この主な内容は、亡進から被告に、栄勢丸の運航を委託し、被告は受託者として積荷の選択、配船、積揚地及び寄港地における船内人夫その他運航に関する一切の手配等を亡進の危険と費用により、善管注意義務を果して有利運航に当る。そのため、被告の名において運送主との間に運送契約を結ぶが、その場合、事前に積荷、航路その他必要な事項を亡進に通知し、その承認を得なければならないこと、また、一般航海者が危険と認める区域に船を使用したり、危険品を積載することになる場合にもあらかじめ、亡進の承諾を得なければならない、というものであつた。この契約に伴い、亡進は、被告に対し総運賃収入の一〇パーセソトを運航手数料、前記薬品タンクの使用料として同一五パーセントを支払うものとされていた。従つて、亡進は、栄勢丸の所有者となることは、前記薬品タンクについての賃借人とならねばならないことであつたから、栄勢丸運航につき、被告からうける仕事以外の仕事はできず、運航委託の拒否・積荷選択の自由等はなく、事実上栄勢丸は被告の傭船として存在していた。亡進は、本件事故時点までに、被告の前記通知をうけて、栄勢丸を用い、主として苛性ソーダの運送に当つてきたが、本件事故に至つた運送も、昭和五三年三月一七日午前一〇時ごろ、自宅に居た亡進に対し、被告から電話により被告東圧への苛性ソーダ運送指示が、つづいて同午後二時半ごろ苛性ソーダの荷おろしを終えてから尼ケ崎へ回つて塩化カルシウムを積むようにとの指示があり、これを容れて、亡進は、同日夜徳島を出て翌日、岡山で苛性ソーダを積み込み、これを同月二〇朝、被告東圧の大阪工業所でおろした後訴外岡山化成水島工場へ向う途中の原告ら主張の日時場所において船内のタンク洗滌のため窒素の充満するタンク内に立入つて船長(訴外山本林平)と共に酸欠死した。栄勢丸は、自船ポンプの揚液力が弱いため、揚液所でエアー加圧をうけて揚液作業をすることが多かつた。また、本来、苛性ソーダのごとき危険な薬品の運送は、安全のためには一船一品目に限られるべきであるのに栄勢丸は、苛性ソーダのほか塩化カルシウム等も運送するため、タンク内にはいつての洗浄作業を多く必要とした。この洗浄も海上に出てから行うことを常としたが、被告は、右揚液加圧、洗浄の必要、海上廃棄を知つていた。栄勢丸の前々の所有者時代から同船を危険物タンク船としては使用しない(サイズ船として使用する)旨の届出もしており、被告は、圧力をかけてはいけない船だと解していた。亡進は、栄勢丸の所有者となつた当時、苛性ソーダ等危険物を取扱つたことはなかつたので、被告側では、これに対応して、化学薬品取扱い、主としてクリーニングについて教育をしたが、その後は格別な教育特に窒素の酸欠については、前記支配下の他の船舶関係者についても何らの教育をすることはなく、安全指導態勢は不備というほかなく(職員殆んどが事務職員)、自社船の一部に検知器を備える程度であつた。亡進は、被告東圧の従業員(訴外近藤)から苛性ソーダ揚液加圧に供与されたガスが窒素であることを告げられて、これによる加圧で、積荷の苛性ソーダを被告東圧大阪工業所で揚液をすませたが、窒素による酸欠死の危険性及び対応措置を知らなかつたため、前記タンク内へ洗浄にはいり酸欠死した。前記契約上、薬品タンク等(カーゴポンプ、原動機等)の保全、取扱いについては一切亡進が責任をもち、修理、改修、更新に要する費用は亡進が負担することとされていた。また、船内備付図書、安全保護用具の装備状況、亡進において、最少必要限度の安全知識を吸収し、安全用具を装備することが困難でなかつたことは、被告東圧に対する原告らの請求の個所において説示したとおりである。

(二)  当事者双方の主張を整理しながら以上の事実について検討を加えることとする。

要約すれば原告らの主張は、被告と亡進との契約関係は使用者と労働者の関係で、使用者である被告は、労働者である亡進の生命身体の安全のために万全の措置を講ずべき義務があるのにこれを盡さなかつたために本件事故死を招かせたとするのに対し、被告は、右契約は、対等な当事者間の船舶運航委託契約があるに過ぎず、亡進の生命身体の安全措置は、船員法等により船舶所有者である亡進自らが講ずべき法定義務であるのに亡進はこれを怠つて本件事故死を招いた。ということである。

ところで、前記事実を部分的に見れば、亡進は、船舶所有者であるから、特別な事由のない限り、船舶安全法、船員法、船員労働安全衛生規則等の諸規定に基づき船員(亡進自らを含む)の生命身体の安全のために、船舶自体の整備や安全衛生具の装備等によつて外的・物的面からの安全確保、船員に対する安全教育の実施による人的・精神面からの安全確保義務の遵守が求められているのであるから、原告らの主張は、本件の場合は、特別な事由があり、船舶所有者の地位は亡進から被告に移されているということに帰する。そして右特別な事由として揚げるものは、(1)、栄勢丸の心臓部である薬品タンク等の所有者が被告であるため、被告は、使用上、栄勢丸の実質所有者として安全措置の支配をしていた。(2)、亡進と被告間の運航委託契約は、栄勢丸についての被告と所有者との従前からの主従関係が前所有者から亡進にそのまま移されたもので、これによつて、被告は栄勢丸に対する運航の指揮命令を実質上全面的に行い、安全措置の実権を行使していた。(8)、被告は、積載物を多品目としてタンク内洗浄の機会を多くし、洗浄液の海上投棄を指示し、揚液作業に加圧気体を必要とするポンプを使用させて、亡進の安全保持を困難にしていた。(4)、亡進は、零細企業者であり、安全設備等をする経費なく、安全教育の機会もないのに、被告は大企業家で、右のことにつき十分な経費と機会があり、安全措置をとるべき事実上の義務者であつた。と整理することができるから右(1)ないし(4)点について前示認定事実を基にして検討する。

(1) 薬品タンク等が栄勢丸の心臓部であり、被告がその所有者ではあるが、被告から亡進に賃貸されているので、亡進は、法律上(船員法等)、所有者の地位に立つて権利を行使し義務を負うことになる。また、契約上も亡進に、薬品タンク等の保全、管理、取扱いが一任されているから、以上の点からの被告の安全措置支配は考えられない。ただ、通常、賃貸料の中に盛り込まれる筈の修理、更新費用のすべてが、賃貸料とは別に亡進の負担とされており、昭和四〇年ごろからの使用であるのに賃料は従前どおり(この点について、被告は明らかに争わない)とされていることからすれば、保全等の経費面から亡進の安全措置に事実上の影響を与えたことは否定できない。

(2) 運航委託契約は、部分的(形式的)に見れば、被告も亡進も内航運送業者であり、独立の企業者間の契約であることの面においては対等な当事者間のものであるとせらるべきことは否定できない。しかし、企業歴、企業規模において、甚だしい隔差が見られるし、薬品タンク等の所有関係、亡進に至るまでの契約関係面からすれば不対等な当事者間のものといえる。事実、亡進における前記保全費等の負担や積荷選択等の不自由面に被告の利益優位を見ることもできる。しかし、もともと亡進において自ら荷主を探し出して運送注文を請けうる企業態勢や能力がないため、これを備えた被告に右注文請を委託せざるを得なかつたものと考えられ、その意味においては、他者を選んでも同様で、特に有利な契約を望み得ず、その意味において多少の被告の利益優越は当然で、契約成立が、原告らのいう主従の関係においてなされたとすることはできない。

問題は、運航委託契約で、被告が、その委ねられている積荷選択、配船、航路の選択等亡進の安全措置の及ばない点(被告の債務となつている)についての安全につき被告の果すべき十分な配慮と措置をしたか否かであるが、契約の内容となつている事前の承諾についても、本件事故に結びついた前記通知には、承諾に必要な時間的余裕があつたとは考えられない(従つて承諾を得ない一方的通知といえる)し、揚荷桟橋(被告東圧大阪工業所)の状況(加圧の要否)等必要な通知をなしたとも認め難い。そして、いわゆる一げんの運航委託の相手であれば兎も角、被告と栄勢丸との長く続いた委託関係や薬品タンク等の所有関係からみて、被告は、亡進側の運航能力、積荷揚卸能力の程度等についても知つている筈であり、また、知つておかなければならないものといわねばならない。けだし、亡進のための有利安全運航についての善管義務を果すためには、それを知つておかねば、難きを強い、危きを見落すことになるからである。被告が、亡進との間に運航委託契約を結んだ当初、亡進の苛性ソーダ取扱能力のないことに対処するため、クリーニング教育をしたのも、亡進の能力に応じた配船等をしなければ運航委託契約上の善管義務を完全に果すことができないからにほかならない。従つて、原告ら主張の(8)の栄勢丸の弱い揚液力に対応した積荷揚卸先の選定、積載品目の限定、多品目運送に伴うタンク洗浄に対する配慮も当然の義務内容をなしているものといわねばならないが、被告がこれらの点について意を用いたふしは見当らない。

(4) 被告と亡進間に甚だしい企業規模差、企業歴差があり、安全措置対応能力に大差のあることは明らかである。しかしながら、前記法律上及び契約上の地位からみて、また、亡進が、運航に伴う運賃収入の七割五分を領収している主体であるという利益帰属の点からも、船舶が陸を離れると一つの独立国家的存在を示すことの活動面からも、亡進において、安全知識の吸収、安全用具の装備について、それほど困難であつたとは考えられないことの実行面からも前記(2)項において述べた以上に、原告ら主張のごとき、安全措置義務を被告において一方的に負わされるものではなく、亡進自らにおいて相応に自らの安全を確保すべき義務があるものといわねばならない。そうでなければ、本件のごとき運航委託契約は存在しえない(受託側の過重な責任の故に)ことにもなるし、公平な危険の負担にも合わない。原告らの引用する判例等は、本件とは、事案、規範を異にし、引用に価しないものと考えられる。

(三)  そこで、本件事故死との間に因果関係にある事実を整理するとその主なものは、(1)、被告は、窒素ガスを用いねば揚液できない荷卸先に配船をした(エアー揚液先であれば事故は起きなかつた)。(2)、被告は、荷揚後の積荷を塩化カルシウムとした(苛性ソーダであれば洗浄の要なく事故は起きなかつた)。(3)、亡進は、揚液力の弱いポンプを改修または更新をしないで用いていた(改修更新をしておれば窒素ガス揚液を必要とせず事故は起きなかつた)。(4)、亡進は、無防備で、窒素ガスの充満するタンク内へはいつた。ということであり、(4)を除く他の行為は、それによつて酸欠死を招くのが通常であるという関係にはないから相当因果関係のある行為ではなく条件関係をなす行為であることは明らかである。従つて、被告の(1)及び(2)の行為が相当因果関係ある行為であるとするためには、被告において、亡進が窒素による酸欠死について無知であり、かつ、窒素ガスを揚液に使用することが予想せられる場合に、窒素ガスを用いねばならない荷揚卸先であるか否かを確かめないで配船したり、洗浄作業を要する積荷を指示した場合である。また、このような場合には、被告が、当初、亡進を、教育したように、窒素による酸欠死の対応措置の教育をしなければならないということでもある。そして、本件事故死までに亡進側に何らの問題を生じなかつた(前顕証拠によつて認める)ことでもあり、被告において、右予想があつたとは認め難く、前記のとおり亡進の安全対応能力を把握することに努めてそれに応じた配船、積荷の選択等を被告はなすべきであるが、前記のとおり、その法律上、契約上の地位に照らし亡進が安全について全く無知、無防備であることを予想してまで行動する義務はなかつたものといわねばならない。

結局、被告の債務不履行によつて、全部的に、本件事故が惹起されたものとすることはできないものと考えられる(さらに後述)。

3  争いのある被告の不法行為について

前示認定のとおり、本件事故死の原因関係にある行為の主なものは、四つであつて、原告ら主張のごとく栄勢丸を、検査をうけた用途と異なる用途に供したことは右原因をなすものでないことは明らかである。そして、右四つの行為のうち、亡進が無防備で窒素の充満するタンク内に入つたこと以外は、事故死と相当因果関係にないことも既に述べたとおりである。また、前示のとおり亡進は、窒素による酸欠死の知識も、これに対する対応措置も知らないでタンク内に入つたのであるから、窒素ガスによる揚液作業のあることを予想してあらかじめこれに対する知識を充実しておけば、本件事故死を招くことがなかつたことも明らかである。

原告らは、亡進に対し、被告において窒素による酸欠死対応教育をする義務があつたというのであるが、前示のとおり、被告が契約上委ねられた配船、積荷選択等の面からの安全確保のためにも、亡進に、右知識能力の不備、窒素ガスの使用が予想できた場合には、これに対して、相応な教育をすべき義務があつたことは否定できない。しかしながら窒素ガスを揚液に使うことは考えられない業界の実情であり(前顕丙第一三号証、原告ハツ子本人尋問の結果)、窒素を供与した訴外近藤においても未経験かつ十分な知識を備えていなかつたのである。そして、被告においても、自ら亡進以外の船員に対しても特に窒素による酸欠死に関する教育を施したことはなかつたのである。そして、被告が窒素による酸欠死の知識は船員の常識であると唱えていることからも、被告において右予想ができたとすることはできない。

結局、被告の不法行為によつて、本件事故が惹起されたものとすることはできない。

4  ところで、被告の債務不履行については、前記のとおりその行為によつて、直接、全部的、完結的に本件事故が発生したか否かを検討して、すなわち、通常の概念に従い、相当因果関係のある行為か否かを弁別したのであるが、通常の概念に従えば、それは、責を負わさるべき債務不履行行為の限定を意味するものであるが、当裁判所は、原告らの主張する債務不履行が全面的には容れられるものでないことを示したものであり、また債務不履行があるのに、それは結果に対して条件関係があるに過ぎないとの故をもつて、つまり、本件の場合、前示のとおり被告には、積荷の選択、荷揚卸先の選定等について亡進のために安全配慮の義務があるのに、それを盡さず、危険物タンクに多品目の積荷をしたり、ポンプの揚液力について全く考慮を払わない荷揚卸先の選定をしたことに対して何らの責も負わないとすることは社会正義に反することを指摘したい。けだし、被告において前記のような考慮を払つておれば、たとえ、亡進に窒素ガスに対する安全対応能力がなくとも本件事故死を招かなかつたという前示原因関係を見落すことはできないし、また、本件のごとき危険物の取扱いについては、関係者が互に協力して危険回避につとめなければ互の安全を確保することができず、そのためには、危険(損害)の公平な負担による生活連帯が必要であるといわねばならないからである。民法四一六条二項特別損害の負担も、それは予見しえたか否かに重点をおいているのではなく、公平な損害の負担を定める例示規定と解することができる。結局、前示被告の行為については、結果発生、損害負担につき、利益の帰する所に損害(危険)も帰するの経済活動原則、公平の原則に照らし、原告らに生じた損害につき7.5対2.5の割合による損害負担の義務があるものと考える。

5  原告らの損害

原告らに生じた損害は、〈証拠〉を綜合すると弁護士費用を除くと原告ら主張どおりの額に達するし、弁護士費用は各金六〇万円を相当と考えられ、これに反する証拠はない。そうすると、前示損害分担による計算に従えば、原告ハツ子については、金六五一万七、一七〇円(一〇円未満切捨)と弁護士費用金六〇万円の合計金七一一万七、一七〇円、原告孝至、同宏美については、各金六三六万九、五五〇円(前同)に弁護士費用各金六〇万円の合計各金六九六万九、五五〇円と算定することができる。

三以上の次第で、原告らの被告東圧に対する本訴請求は理由がないので、何れもこれを棄却するが、被告大豊に対する請求は、原告ハツ子については、金七一一万七、一七〇円、原告孝至、同宏美については、各金六九六万九、五五〇円の支払を求める(これに対する各主張の遅延損害金)限度において理由があるのでこれを認容するが、その余は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担、仮執行の宣言については、民事訴訟法八九条、九二条、九三条、一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(喜田芳文)

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